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2016.03.25

木工家ウィーク開催に寄せて(文:井崎正治)

1964年東京五輪開催に浮かれ世の中が目まぐるしい年の春、坊主頭の私は木工の道にはいりました。「幸せなら手をたたこう!」と坂本九さんの歌声に手拍子合わせるように日本中が高度成長の勢いに乗り遅れまいと元気でした。それに時代はなぜか文化という文字をのせた文化生活の獲得ブームに忙しく働いていました。仕事も新しい動きを見据えてかホワイトカラー族に走る若者が急増していました。おかげで地味に見える職人の世界には目を向けられる事も少なくなり職人さんと工房が激減していった時代でもありました。私はそんな時代を横目で見ながら住み込みで木地師の修業を静かにさせてもらっていました。

 

1971年になると世の中はアンノン族が時代を動かす程のブームをつくり、ブラウン管からは「8時だヨ!全員集合」と手放しの笑いを飛ばしている時に私と言えばチマチマと工房を作り独立をしました。時代はより加速度を増したように移り変わり、もの作りの現場も大きく様変わりしていました。自分の木の仕事はどうしたものかと不安になり1ヶ月ほど色々な工房を訪ね歩き話を聴かせてもらいにいきました。しかしどこも前向きな話は少なく、先の読めない言葉ばかりが多く聴かれました。仕方なく覚悟を決めて何でもやってみようと数年仕事をしていると、ポツリポツリと木工を目指す若者の話を見聞きするようになったのです。色々な考えで木工の道に入った若者の話題は新鮮で、その影響力は大きくその頃から沢山の木工志願者が現れることになりました。私にとっては不思議に思える事ばかりでしたが、とても喜ばしい時代を迎えることになったものだと感心して見守っていました。木工家が増えるに従って木の仕事を継続することの現実的な問題に直面する人も増え、色々な問題点を抱えるひとから相談も受けることにもなりました。その度に「こんな楽しくやり甲斐のある仕事は……」と前向きな話をするものの抱える問題は様々で私の話は虚しくも一方通行になってしまうことも多々ありました。そんな時沢山の情報と沢山の助言者の必要性を強く感じました。

 

木工家ウイークの動きが始まり木工家同士の出会いも増え活動することでより心強さがえられるのではないかと思っています。木工家ネットにおいても沢山の情報提供出来ることで次世代を担う木工家の大きな指針になってくれているのではないかと思っています。

 

当工房でも木工塾をしています。木工を目指す若者のエネルギーにきたいしてすこしでも力になれればと考えています。ものは増え何でも手に入れられそうな経験を重ねられる時代ですが、情報ツールのおかげで何でも解ったような気になれるのは便利ですが心地よく豊かな生活をするという人間の物差しはどこか曖昧さを増し、人間の持つ意識や感覚までもがすこし乾き気持ちで貧しくなりつつあります。木工の世界においても人がモノを作る事の魅力と人に手渡せることの役割を考えながら活動できる木工家が増え育ってくれることを願って止みません。

 

井崎-ロッキング

 

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井崎正治

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