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2017.05.27

特別コラム:高橋 三太郎 「木工家の時代を考える」

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今回のフォーラム「木工家の時代を考える」では、第2部で諸山正則さんと木工家第一世代の4人が登壇しますが、その4名が予め「木工家の時代を考える」をテーマに、思う所を文章化して公開することにいたしました。

諸山さんにはこの4人の書いた内容を踏まえて、第1部で「木工家の時代の背景と特質」と題して講演していただき、第2部では、4人が書いた文章の要点を話してから、さらに話し合いで深めたいと考えております。

フォーラムの限られた時間で、より良い内容にできればと企画したものですので、お忙しいとは思いますが、フォーラムに参加される方は事前にお読みいただけますようお願いいたします。
また、参加予約されていない方も、お読みいただき、今回のフォーラムの内容に関心をもっていただければ幸いです。
-谷 進一郎-
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「木工家の時代を考える」
高橋 三太郎
戦後に生まれ、経済白書において、「もはや、戦後ではない」と発表された1956年頃小学校に入学し、1964年東京オリンピック、1970年大阪万博と日本の高度経済成長とともに育ったのがいわゆる木工家第一世代である。一方で1968年パリ五月革命、1969年東大安田講堂そしてベトナム反戦運動・日本各地での反公害運動という「衣食足りて、礼節を問う」時代でもあった。

 

そういう時代の空気の中、「公」としての組織の一員ではなく、「私」としての自己実現の術(すべ)を求めて職人修業の道に入ったのが、谷進一郎であり、小島伸吾であった。そして谷が工房を立ち上げたのが、1973年。「黒田辰秋の仕事を見て、職人ではなく、作家をめざそうと思った。しかし職人としても半人前、作家としても、半人前の自分があった。」と谷がどこかで記している。稚拙な技術、稚拙な造形力で作られた木工家具。しかし、そこには稚拙さを補って余り有る作り手の情熱、志があった。良い意味での「手づくり」の力があった。そして使い手の側にも、それを受けとめるだけの余裕(ゆとり)があり、社会にもそれを暮らしの中の一つのムーブメントとして評価する豊かさがあった。

 

そして、その木工家の時代の「始まり」と「今」との中間点に位置するのが。1998年に始まった「暮らしの中の木の椅子展」である。1回目は、木工家だけでは、公募展が成立するだけの数とレベルが集まらないと考えた企画側は、多くのデザイナーにも声をかけた。100点の入賞・入選作の展示は15人前後の一線級のデザイナーと木工家の椅子が、一堂に並ぶことになった。しかし2年に一回の公募展は2008年の6回展を最後に、休止された。1回展の出品数は658点、6回展は624点。応募数の減少が休止の理由ではなく、中味のマンネリ化が大きな理由の一つだと推測される。回を重ねるごとに、木工家の椅子はシンプルで美しく洗練されていった。と同時に、個性、モノの持つ力のようなものを失っていった。

 

それから10年が経った。

 

今手元に金沢21世紀美術館による企画「工芸とデザインの境目」展の図録と、須田賢司の2015年の著作「木工藝 ― Japanese fine woodworking」がある。そして、雑誌「住む」の2017年冬号がある。塗師の赤木明塗が「工芸原点」という中で、デザイナーと産地の職人との協業としてのプロダクトに言及し、『プロダクト・デザインと僕の思う「工芸」とは、同じものなのだろうか』という問いかけをしている。そして、「残念なことに、現在の工芸界において、手づくりながら、シンプルで使いやすいというプロダクトデザインと大して差異のない領域が主流となっている。」と述べている。そして一方、2012年に同じく21世紀美術館の企画「工芸未来派」展を『工芸の軸足を「用途」よりも「表現」や「個性」に置き、「現代アート化する新しい工芸」として、捉えなおす試みであった。』と紹介している。これは須田が、自著「木工藝」の中で、自分の仕事について「用途にカタチを借りた美術的表現としての木工芸」と述べていることと共通する。

 

「木工家の今」を考える時、このあたりにヒントがあるように思う。

 

① 軸足を、機能・用途より、個性・表現に置く。
⇒ より工芸的なものづくり(fine woodworking)
② 機能・使いやすさに軸足を置きながら、スタンダードな美しいカタチをめざす。
⇒ プロダクトと同じ領域で、クラフトとプロダクトの境目を超えて、一人の木
工家としてのアイデンティティーを確立していく。

自分で、デザインし、製作し、そして使い手に渡すという「木工家」というスタイルが始まって、約45年。時代の変化の中で、その在り方は、多様化してきている。
しかし、ただ一つ変わらないものがあるとすれば、それは常に「造形力」が問われているということである。自分でデザインするという意味において、木工家も一人の「表現者」である。「技術」は学ぶことができるが、表現者としてのあるレベル以上の「造形力」は、自分で磨くしかないのである。

 

知識はin-put、智恵はout-putと言われる。天才でもなければ、ゼロからは、何も生まれない。人に会い、モノを見る。モノに触れ、コトに出会う。STUDYとは、「学ぶこと」LEARNとは「気づくこと」。「造形力」を磨くということは、「気づく力」を養うことであり、モノを見る「視点」をみつけることである。そして見たモノ、気づいたコトを表現する「自分の言葉」をみつけることだと、私自身は考えている。
私の祖父は、大工で103才まで生きた。私には、まだ35年ある。モノを作る現場にいる限り、生涯現役、常に一年生の気持ちでいたいと思う。

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