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2017.05.27

特別コラム:井崎 正治 「木工家の時代を考える」

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今回のフォーラム「木工家の時代を考える」では、第2部で諸山正則さんと木工家第一世代の4人が登壇しますが、その4名が予め「木工家の時代を考える」をテーマに、思う所を文章化して公開することにいたしました。

諸山さんにはこの4人の書いた内容を踏まえて、第1部で「木工家の時代の背景と特質」と題して講演していただき、第2部では、4人が書いた文章の要点を話してから、さらに話し合いで深めたいと考えております。

フォーラムの限られた時間で、より良い内容にできればと企画したものですので、お忙しいとは思いますが、フォーラムに参加される方は事前にお読みいただけますようお願いいたします。
また、参加予約されていない方も、お読みいただき、今回のフォーラムの内容に関心をもっていただければ幸いです。
-谷 進一郎-
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「木工家の時代を考える」
井崎 正治

 

「木工家の時代を考える」というテーマで書くとなると難しいところですが、自身の過ごして来た時代を振り返って考えてみたいと思います。
1964年、私は木地師の工房に弟子入りしたのが木工の道のはじまりです。世の中はオリンピック景気で新幹線、高速道路とたくさんの新しい物たちが世の中を賑やかくしてくれていた時代です。製造業も何でも作れば売れるような錯覚を起こしそうな流れでした。反面そんな勢いに押されるように昔ながらの手工業は次から次へと姿を消したり、時流に合わせて生産中心の作業場作りへと変化していく状況でした。

 

木工の世界でも同様で、木工機械が量産され、全国木工機械展というものが毎年華やかに開催されていました。弟子入りした1964年から毎年見学に行きましたが、毎回万国博覧会騒ぎの会場で新たな木工機械がどんどん発表されました。国内にも沢山の木工機械メーカーもありましたが、世界の木工機械が大量に輸入され始めたのもこの頃だったと思います。発表される機械はどれも量産向きの専用機が多く中小の木工所では手の出せそうにないものが目立っていました。
そんな一方で昔ながらの地域に根ざした町工場の職人さんもまだ居て、いろんな依頼に応える仕事をしていました。私の修業していた工房もその一つで、木地師の仕事が本業の筈なのにろくろとは関係のない大工仕事や家具仕事まで手を出していました。修業していた工房の周りはお隣が大工さん。その南側が製材所、その西が建具屋さん。数軒おいて注文家具屋さんが看板を上げて忙しくしていました。

 

そこには私と同じように修業の身の若者が朝早くから夜遅くまで働く姿がありました。私はそんなところで修業期間を8年弱すごしたので、独立時には何の疑いもせず地域に根ざした便利屋的な町工場をやろうと考えていました。

 

ところがいざ独立準備をする1971年になると世の中が一変していました。望んでいた町工場の姿は大幅に減ってしまっていて、大型工場で製品化される安価な木製品が大型店舗にて販売合戦を繰り広げる時代になっていました。その陰で環境汚染、産業公害が社会的な事件として大きく問題視されるようになり不安な時代となっていました。

 

そんな中で独立準備をしなければいけない私は、どんな木工をすべきか結論を出せず、しばらくは各地の木工事情を見学させてもらったものの、これぞという考えも浮かばず、とりあえず食べていかなければならないこともあり、修業時代から考えていた地域に根ざせる町工場をやろうと動き出しました。私流の「よろず木工屋」の出発でした。いろんな依頼に応える仕事と、自分で考えてつくる木工品を併せて作っていきたいと考え、木地師の仕事だけでなく何でもやりましょうと、間口を広く開いた工房を始めました。

 

独立して間もなく依頼仕事の中で障害者の施設と作業場に出会いました。何軒かの施設を掛け持ちしながら雑多な仕事を引き受けていました。時には大工仕事、時には塗装屋、時には…と、何でもできそうなことは応える仕事をしている内に、必要な人に必要なものを作って応える仕事に出会えた気がしました。施設では健常者とは少し違い、日々の生活道具は規格品では合わないものが多くすべてに工夫が求められるものばかりでした。
施設の方から入居者にできる木の仕事はないものかという話があり、できれば就労訓練として取り入れたいと相談があり、手探りながら専用の工具、道具、機械を作って手がけてはみましたが、できたのはわずかばかりの単純作業で継続できるような就労訓練にはつながらないものでした。それでもと、根本的なやり方から考え直し、製品企画から、製造、販売までを自立した仕組みとして考えればなんとか方法があるのではと再度何人かで挑戦してはみましたが結果的に断念することに終わってしまいました。

 

その後東京の小さな工房で障害者の道具づくりをしていた「でく工房」の竹野氏と出会いそんな失敗談を話してみたこともありましたが、色々な助言をもらい改めて大変な仕事ながら大切な役割を担う仕事のひとつであるあることを考えさせられたこともありました。

 

結局は施設では何の力にもなれなかったものの、小さな木工をすることで、新たな生き方、楽しみ方、張り合いを望める人がいることを知りました。小さな木工に目を輝かせて働こうとしてくれた子どもたちや大人たちの姿に静かに胸を打たれました。

 

こんな経験からいろんな木の仕事、つくる仕事があってほしいと願うようになりました。つくることが大好きで木工の道に入るのも大いに結構、才能ある人が人を感動させられるような作品を発表するのも大賛成です。でもいろんな生き方があります。求める人も求められ方も様々です。なんでもありを提唱するつもりはありませんが、色々な人が魅力あるものづくりをできる力をたくわえて、木の仕事として取り組んでいける時代であってほしいと願っています。

 

木の仕事というととかく大変で食えない仕事というなぜかマイナスイメージが多いようですが、私はそんなことないよと、昔から言い続けています。どんな木の仕事を求めるかによっては、確かに慎ましい生活を強いられるものもあるかもしれませんが、どんな仕事も大なり小なりこの時代に適応できる力を持ってして初めて生業として成立する筈です。先ずはどんな木工をしたいのかを明確にすることだと思っています。

 

そう考えれば、ひと時代前と違ってこんなにも木に関心を持ってくれる人が多い時代になってきています。木工の仕事はやりやすい時代になっていると思っています。木工をすることは自身が木工をすることの意味や価値をどう他者に伝えていくかということだと思っています。ただ求める人の眼は、ものの魅力に対してとても厳しくなっています。従って木工をする側にも厳しいものづくりの力を求められています。企画力、デザイン造形力、技術力、どれも中途半端は許されないのは仕方のないことですがそれだけにやりがいのある仕事かとおもっています。

 

これからの木工世界を担う世代、木工職人、木工家、工芸家…どの呼び方、呼ばれ方は色々ですがどれがしっくりくるのか、未だに私にはよく解りませんが、そんなことより魅力的な仕事を継続してやり続けられる為の力をたくわえて大いに楽しんで木工の道に挑戦して欲しいと思っています。また木工家ウイークの集まりがそんな木工仲間達が前向きに希望を持って進めるための一助になればと思っています。

 

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