木工家ウィークは2008年から毎年名古屋で開催してきましたが、最初の開催に至るまでの経緯などを書いてみますので、「木工家ウィーク」を理解していただく一助になれば幸いです。
1980年前後に東京では「木考会(木工を考える会)」という集まりがありましたが、当時20代から30代で木工を始めたばかり、あるいはこれから始めたいという若者たちが月に一度集って、語り合い、情報交換し、時にはグループ展を開催していました。
幹事役は今は亡き「でく工房」の竹野広行さん、メンバーには同じ「でく工房」の光野有次さん、伝統工芸の須田賢司さんや木工家の野崎健一さんや血脇正裕さん、木工塾の福山聖海さん、木のおもちゃの中井秀樹さんなど延べにすると100人以上の木工家や木工関係者が参加していました。
例会場は中野の「モノモノ」という工業デザイナーで木工にも造詣の深かった秋岡芳夫さんの主宰していたスペースを利用させてもらいました。
その辺りの詳細は「街の小さな木工所から」 竹野広行著と「注文でつくる-座位保持装置になった「いす」 障害者の道具づくり・でく工房の30年-」矢野陽子著 (どちらもはる書房刊)という本にも紹介されていますが、普段の「木考会」では30名くらい集ったメンバーの近況報告から始まって、木工の事、生活の事、社会問題などについて、語り合っていましたが、時にはゲストを招いたり、木工に関連する施設を見学したりもしていました。
会の中で私は竹野さんや須田さんたちと誘い合って「李朝木工研究会」という勉強会を「木考会」の翌日に同じ「モノモノ」で数年間続けましたし、やはりメンバーの有志で始めたグループ展の「木の仕事展」は、会場や参加メンバーが移り変わりながら、現在も「木の家具展」として野崎さんや井崎正治さんと30年以上も毎年続けて開催しています。
「木考会」はフラットな集まりで、特に「会長」もいませんでしたが、こんな風に何事も言い出した人が先導する「この指とまれ」精神をもって、「幹事役」が中心になるスタイルで、様々な活動が行われていました。
その後、「でく工房」の仕事(障害者の為の道具作り)は、全国各地に広がって定着していきましたが、出入り自由な「木考会」の集まりは、メンバーそれぞれが忙しくなったり、目指す方向の違いから、少しずつ潮が引く様に途絶えてしまいました。
しばらく後に「木考会」を経験した人たちの中には、東京や神奈川、九州などで形を変えて「木考会」を復活したこともありました。
私も長野県で木工家具制作をしていますが、1990年には長野県内の木工家50人が集った「信州木工会」の発足に参加しました。
「信州木工会」では年に数回の木工家具の展示会を各地で開催していましたが、1999年には「木工研究会」を発足させて、情報交換や様々な交流、見学、講習会などをこれまでに40回以上開催するなど、「木考会」の持っていた内容を受け継いで発展させてきたつもりです。
そうした流れの中で、2005年から名古屋で「CHAIRS 家具作家の仕事」というグループ展を開催するようになりました。
札幌の高橋三太郎さんと長野の村上富朗さんとデニス・ヤングさんと私の4人で始めた木の椅子の展覧会ですが、この会期中の会場には東海地方の旧知の木工家だけでなく、様々な木工関係者などが立ち寄ってくれて、毎晩の様に会場裏手の安くて美味い中華料理店で木工交流の宴となって盛り上がる様になりました。
そこで、私たちは木工関係者がこのように日替わりでバラバラに立ち寄るのでなく、あらかじめ日時を決めて集ったら、さらに新しい出会いや展開ができるのではないか、と思いつきました。
ということで2007年6月1日、「木工家の集い」として木工関係者の交流会を計画しましたが、それを、ただの飲み会をするだけ、にならないように、「木工家のネットワークについて」をテーマに、参加した木工家による「意見交換会」を開催しました。さらに同日の交流会の開催前には刃物メーカーの「勉強会と工場見学」を計画して、「信州木工会」や「木の仕事の会」などの既存のネットワークを使ったり、口コミで参加者を募りました。
各地から集った46名の木工家の協力で、それぞれの企画も盛り上がり、「木工家の集い」は最初の集まりとしては成功したと思いますが、これで終わりということではなく、今度はそれぞれが名刺代わりに椅子1脚でも持参して、名古屋で1年後の同じ時期に何カ所かで木工家の展示会を開催しながら交流ができたら面白そうではないか、と「木工家ウィーク」につながる提案をさせてもらいました。
それから、実行委員会を立ち上げて準備を進め、2008年6月に最初の「木工家ウィーク」が「フォーラム・木工房からの仕事・講師、長大作・諸山正則」「木工家30人展」「CHAIRS展」「木のスプーン展」の内容で開催されました。
最初の「木工家ウィーク」は、いわば口コミで、木工家が集ったようなものですが、その後毎年同じ時期に開催を続けることで、多くの木工家、木工関係者の中に認知が広がり、少しずつ一般の来場者も増してきて、継続して開催していることで社会的信用が増したのか、様々な木工関連企業などから協賛していただける様になりました。
現在でも「木工家ウィーク」の準備は簡単なことではありませんが、実行委員や各企画担当者、サポーター、それぞれの能力を持ち寄る様に協力して進めています。
最初に紹介した「木考会」では、竹野さんが毎月十数ページの手書きの原稿をコピーした通信「黙木」(通巻64号)を発行して、会の運営を導いてくれました。
現在、東海地方を中心に広範囲に在住する「木工家ウィーク」の実行委員が、これだけの企画を実現できるのも、手軽に情報交換ができるインターネットの普及と充実という社会基盤の進歩した時代だからと、いえますが、いつの時代も「木工家」が、「木工」を好きな仲間と共有して、「木工」の好きなお客さんに提供して、「木工」をわくわくしながらやりたい、という強い思いが原動力になっていることは変わらないのではないでしょうか。
「木工家のネットワーク」については、2007年の「意見交換会」の限られた時間では、呼びかけ人を中心に各地の木工家の状況を報告する位でしたので、後日、参加者にアンケートを送付して意見などを回答してもらいましたが、そこには、本格的な木工家の「協会」組織を望む声もありましたし、「暫定的なものでもはやく」という意見や「集まり楽しく語るだけの会」で良いという多様な意見がありました。
そんなわけで最初の「木工家の集い」に参加した木工家を無理に組織化しても、一部の人たちだけの集まりになってしまうので、まずベーシックな「木工家のネットワーク」=「木工家ネット」を作ることから始めることにしました。
そこで、最初の「木工家ウィーク」に参加した約160名の木工家と木工関係者で、木工関連の情報交換ができるように、メーリングリスト形式の「木工家ネット」を2009年にスタートさせました。
「木工家ネット」は「木工家」が主体ではありますが、関心があれば、誰でもが参加できる形式にして、手軽に木工情報を発信したり、受信したりできる様にしましたので、木工関係者に止まらず、ギャラリー、ショップ、編集者、美術館学芸員、教育関係者など木工家の情報に関心のある方も含まれていて、少しずつメンバーも増えて、現在では北海道から沖縄までの全国各地や海外まで約500人が参加しています。
「木工家ネット」では、木工関連の展覧会や講習会などの開催、あるいは参加募集、コンペ情報、木工関連技術や製品、書籍、テレビ番組、Webサイトの情報など、年間で200件程の木工情報を配信してきました。
「木工家ウィーク」についても、開催案内や出品者の公募などに活用されています。
「木工家ネット」は、その情報の広がりと深さで、「木工」を次の世代に伝える役割の一助になれば、と思って運営していますが、大量の情報が使い捨てられる様な時代だからこそ、目先の変化や、トレンドに流されない社会性や普遍性を持った「木工」の本質が語られることを目指したいものです。
2016年2月
谷進一郎